「近代日本経済の父」と称される渋沢栄一。NHKで放映中の大河ドラマ「青天を衝け」の主人公、そして、新一万円札の顔として注目されていますが、実は、群馬県にある世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」とも深い関わりがあったのはご存じでしょうか?
500以上の企業の設立・育成に関わり、600以上の社会福祉事業に関わったとも言われる渋沢栄一と世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」、いったいどのような関わりがあったのか紹介していきます。
2014(平成26)年に「世界遺産一覧表」に記載された「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、富岡製糸場(富岡市)と3つの養蚕に関わる資産(田島弥平旧宅(伊勢崎市)・高山社跡(藤岡市)・荒船風穴(下仁田町))で構成されています。
「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、長い間生産量が限られていた生糸の大量生産を実現した「技術革新」と、世界と日本との間の「技術交流」を主題とした近代の絹産業に関する遺産です。
日本が開発した生糸の大量生産技術は、かつて一部の特権階級のものであった絹を世界中の人々に広め、その生活や文化をさらに豊かなものに変えました。
渋沢栄一は、現在の埼玉県深谷市に生まれました。
幼い頃から家業の農家や藍玉製造、養蚕を手伝う一方、父から学問の手ほどきを受け、7歳になると、いとこの尾高惇忠から本格的に「論語」などを学びました。
幕末には、「尊王攘夷」思想の影響を受け、惇忠やいとこの渋沢喜作たちとともに高崎城乗っ取り・横浜外国商館焼き討ちの計画を立てたこともありましたが、計画が中止になると、村を出奔し京都で一橋慶喜(後の15代将軍)に仕えることになります。
15代将軍となった徳川慶喜の弟・徳川昭武がパリの万国博覧会出席のため渡欧する際には随行し、約1年間の滞在の間、西洋の産業や文化に触れ、見聞を広めます。
帰国後は、西洋で知り得た知識をもとに、銀行と商社を兼業する組織を静岡に設立しましたが、大隈重信から明治政府にスカウトされ、民部省(後に大蔵省に合併)の役人として新しい日本の国づくりに関わります。政府への仕官は4年ほどと短いものでしたが、日本近代化の象徴とされる富岡製糸場の設立に関わったのもこの時期です。
大蔵省を辞職してからは、栄一は一民間経済人として実業界に進出し、第一国立銀行をはじめ株式会社組織による企業の創設 ・育成に力を入れ、また、「道徳経済合一説」を説き続け、生涯に約500もの企業の設立や、約600の教育機関 ・社会公共事業の支援と民間外交に尽力し、数多くの功績を残しました。
西暦 | 和暦 | 年齢 | 主な出来事 |
---|---|---|---|
1840 | 天保11 | 0歳 | 現在の埼玉県深谷市血洗島に生まれる |
1863 | 文久3 | 23歳 | 高崎城乗っ取り、横浜外国商館焼き討ちを計画するが中止し京都へ |
1864 | 元治1 | 24歳 | 一橋(徳川)慶喜に仕える |
1866 | 慶応2 | 26歳 | 慶喜が江戸15代将軍になり栄一幕臣に |
1867 | 慶応3 | 27歳 | パリ万博使節団としてフランスへ |
1869 | 明治2 | 29歳 | 静岡に商法会所を設立。明治新政府の民部省租税正、民部省改正掛掛長兼務となる |
1870 | 明治3 | 30歳 | 富岡製糸場設立の事務主任となる |
1871 | 明治4 | 31歳 | 栄一の推薦により、田島武平が宮中御養蚕の指導役になる |
1872 | 明治5 | 32歳 | 栄一指導のもとで、田島武平・田島弥平らが定款を作成し島村勧業会社を設立 |
1873 | 明治6 | 33歳 | 富岡製糸場を視察 大蔵省を辞めて第一国立銀行を開業 |
1875 | 明治8 | 35歳 | 島村等の蚕種をもって直輸出を建議 |
1929 | 昭和4 | 89歳 | 『出がら繭の記』を記し武平家に送る |
1931 | 昭和6 | 91歳 | 永眠 |
幕末の開国から長い間、生糸は日本が外貨を取得するための主力輸出品目でした。生糸輸出が始まった頃は生糸の品質も良かったのですが、横浜で高値で売れるようになると品質の悪い生糸も出回るようになったため、信用が落ち、生糸の価格は下落してしまいました。このため、洋式器械製糸技術を導入して生糸の品質を向上させることが、国力を付けたい明治政府の緊急課題となりました。
そこで、明治政府が計画したのが洋式の繰糸器械を備えた官営模範工場の建設です。このとき、明治政府の大蔵省租税正(そぜいのかみ)であった栄一は、農家出身で養蚕に詳しかったことから富岡製糸場設置主任(※)に任命され、フランス人技師ポール・ブリュナを雇うことを決議するなど、富岡製糸場の建設を進めました。
※設置主任は5名任命され、栄一はこのうちの1人。栄一のほかに中村祐興、玉乃世履、杉浦譲、尾高惇忠が任命されました。
富岡製糸場構内にて
(明治6年に撮影したと考えられている)
【左から】
- 陸奥宗光:明治初期の政治家。外務大臣として不平等条約(領事裁判権)の撤廃を実現した
- 渋沢栄一
- ポール・ブリュナ:フランス人の生糸の専門家。明治政府が製糸場建設の指導者として招いた
- 川島忠之助:ブリュナの通訳
初代場長・尾高惇忠とその娘・ゆう(工女第1号)
栄一のいとこであり、幼少期に栄一に論語などを教えていた尾高惇忠は、工場建設の中心となって活躍し、工場完成後は初代場長に就任しました。操業開始に向けて、工女の募集を始めるのですが、これにまつわる有名なエピソードがあります。工女の募集を開始したものの、指導役として招へいしたフランス人技師の飲む赤ワインが若い娘の血と誤解されたことから、工女の募集は生き血を絞るためだという噂が広まり、希望者が集まりませんでした。当時14歳の惇忠の娘のゆうが伝習工女第1号として入場したことにより、噂が払拭されたのです。その結果、次第に工女が集まり、製糸場は操業を開始することができました。惇忠は場長の職を退くまで、国のために誠意をもって製糸場の経営に当たりました。
建築資材調達のまとめ役・韮塚直次郎
韮塚直次郎は、煉瓦製造や建築資材調達のまとめ役を務めた人物です。
明治時代初期に西洋技術を導入した大規模な近代的工場を建設するというのは、すべてが手探りの状態でした。富岡製糸場を象徴するものの一つである煉瓦も、現場の日本人は製造方法すら分からない中、直次郎は出身地の明戸村(現在の深谷市)から瓦職人を呼び寄せ、フランス人技師の指導のもと、煉瓦の素材や製法を聞き、材料となる粘土探しから始めました。そして、富岡の隣町である福島(現甘楽町福島)に窯を築き、試行錯誤の末に煉瓦を焼き上げることに成功しました。このように、不慣れな職人が手探りで製造したため、富岡製糸場の初期の煉瓦は、寸法や形が不揃いなのです。
また、直次郎は、富岡製糸場にならい、蒸気を動力源とした器械製糸場である韮塚製糸場を1876(明治9)年に操業を開始しました。この建物は、富岡製糸場のすぐ近くに建てられており、現在は保存整備されて公開していて、建物についての展示解説も行われています。明治前期、富岡製糸場を模範として建てられた民間製糸場は全国に20ヶ所以上ありますが、韮塚製糸場は、地下の遺構を含めて、現存する唯一の貴重な建造物であると考えられています。
世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産の一つである「田島弥平旧宅」のある群馬県佐位郡島村(現在の伊勢崎市境島村)は、古くから養蚕や蚕の卵(蚕種)の生産が盛んな地域でした。島村の蚕種業者たちは、横浜に蚕種を持ち込み、外国人と直接交渉して莫大な利益を得ました。しかし、全国各地でにわかに始まった不慣れな者による蚕種の粗製濫造によって、1871(明治4年)を境に蚕種の価格は暴落しました。この窮状を打開するため、島村の郷長であった田島武平は、妻のいとこである栄一に相談したのです。
大蔵省に仕えていた栄一は幕末に欧州諸国を視察し、会社組織に通じていました。栄一は、蚕種製造農家約200軒を会社組織に束ねて信用回復を図るよう武平に助言し、定款や申合規則の草案の作成や、三井銀行からの資金調達も仲介するなど、全面的に支援しました。武平らは1872(明治5)年に島村勧業会社を設立し、初代社長に武平が選任されました。各社員が一定基準の蚕種を作り、蚕種の品質向上や均等化を図り、会社が一括販売する方式によって、島村産の蚕種は外国商人の信用を得て、横浜で価格が下落したときでも、かなりの高値で取引されました。
その後、横浜で蚕種が売れなくなると、1879(明治12)年から島村勧業会社の田島弥平らは、直接イタリアへ渡航し、計4回の直輸出を敢行しました。会社は社員の脱退や直輸出の赤字のため、1885(明治18)年にやむなく解散することとなりましたが、明治時代に命がけで海を渡り、言葉も通じない異国において蚕種を販売しようという行 動は、当時の人々にはとても先進的に映ったことでしょう 。
島村の蚕種業の隆盛に大きく貢献。島村勧業会社の初代社長を務めた。武平家は田島弥平家の本家であり、渋沢栄一の親戚にあたる。武平宅では私塾が開かれ、栄一も講義を聴きに島村を訪れている。
各地の養蚕方法を研究し、空気循環を重視した近代養蚕法「清涼育」を大成。清涼育に適した越屋根(ヤグラ)付き瓦葺き総二階建ての近代養蚕農家建築を考案し安定した養蚕に成功。これらをまとめた『養蚕新論』を1872(明治5)年に出版。
毎年春になると皇居内の紅葉山御養蚕所で行われる「宮中御養蚕」(皇后陛下の御養蚕)。この宮中御養蚕は、明治初期に昭憲皇太后(明治天皇妃)が故事に則り復活され、貞明皇后(大正天皇妃)、香淳皇后(昭和天皇妃)、上皇后陛下から現在の皇后陛下に引き継がれているものです。
明治初期、昭憲皇后から、宮中において養蚕を行いたいという話があったとき、養蚕に詳しい者として皇后宮太夫(皇后宮職の長)から推薦されたのが栄一でした。
実際に御養蚕が始まるときには、栄一は任務で多忙であったため、親戚である島村の郷長・田島武平を世話役として推薦しました。武平は、さっそく4名の女性を人選し、ともに宮中御養蚕にご奉仕しました 。
翌1872(明治5)年も引き続き宮中御養蚕が行われ、田島弥平がお世話役に任命されました。この年は、弥平の娘・たみも含めた12名の女性が奉仕者として選ばれています。
※出がら繭・・・蛾が中から出て空(から)になった繭のこと
世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」のなかで渋沢栄一にゆかりのあるスポットや、深谷市内の渋沢栄一関連の施設などを紹介いたします。
世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」や群馬の「絹遺産」の価値や魅力を知ることが出来る施設です。大型スクリーンやデジタル技術を駆使した映像展示などにより、お子様から大人の方まで世界遺産を楽しく学べます。 また大学や民間の方と連携し、世界遺産や絹産業、絹に関する歴史文化等の研究に取り組み、総合的に情報を発信しています。 建物は明治時代の繭や生糸などを保存した煉瓦造りの倉庫をリノベーション、歴史のある建物を再利用・再開発しています。 愛称の『「世界を変える生糸(いと)の力」研究所(セカイト)』は、世界遺産に関連する研究を推進し、ここに来てもらえば「富岡製糸場と絹産業遺産群」のことは何でもわかるような場所に育てていきたいという想いを込めています。
開館時間 9時〜17時
休館日 3月〜11月:毎月最終水曜日(※祝日の場合は翌日)
12月〜2月:毎週水曜日(※祝日の場合は翌日)
12月29日〜12月31日 *その他臨時休館あり
入館料 無料
住所 群馬県富岡市富岡1450-1
電話 0274-67-7821
1872(明治5)年に明治政府が設立した官営の器械製糸場です。重要な輸出品であった生糸の品質向上と増産のために器械製糸技術を普及させる目的で設立した官営工場です。製糸技術開発の最先端施設として日本の養蚕・製糸業を世界一の水準に引き上げた原動力となった施設です。 建物は、木で骨組みを作り煉瓦で壁を積み上げて造る「木骨煉瓦造」という建築方法で建てられました。構造は西欧のものですが、屋根は日本瓦で葺くなど、日本と西洋の技術を見事に融合させた建物です。長さ100mを超える置繭所や繰糸所など、主要な施設が創業当時のまま、ほぼ完全に残されおり、東置繭所・西置繭所・繰糸所は2014(平成26)年に国宝に指定されました。 ガイドツアー(有料)や、スマホでQRコードを読むことで聞くことのできる音声ガイド(無料)などがあります。
開場時間 9時〜17時(最終入場は16時30分)
休場日 年末(12月29日~31日)
入場料 大人1,000円、高校・大学生250円、小・中学生150円
住所 群馬県富岡市富岡1-1
電話 0274-64-0005 (富岡製糸場課)
旧韮塚製糸場
旧韮塚製糸場は現深谷市出身で、富岡製糸場の建築資材調達の任にあたった韮塚直次郎が、1876(明治9)年に創業した民間製糸場です。明治初期の民間器械製糸場のなかで現存する唯一の貴重な建造物で、歴史価値が高いことから富岡市が操業当時の外観に整備し、施設内には、発掘調査の成果などから旧韮塚製糸場を紹介するコーナーや休憩所などが設けられています。富岡製糸場の見学券も販売しています。
開場時間 9時〜17時(最終入場は16時30分)
休場日 年末(12月29日~31日)
入場料 無料
住所 群馬県富岡市富岡33-4
電話 0274-67-1256(まちなかにぎわい課)
田島弥平旧宅は、通風を重視した蚕の飼育法「清涼育」の実践のため、ヤグラと呼ばれる換気施設を屋根上に設けた「近代養蚕農家の原型」と言われる建物です。1863(文久3)年に建てられ、桁行き約25.38m、梁間約9.4mの大規模な建物で、1階を住居、2階を蚕室としました。現在も当時の蚕室建物跡・桑場・蚕種保管の種蔵などの遺構が残り、近代養蚕業の発展を知る上で重要な場として、2012(平成24)年に国史跡に指定され、富岡製糸場などとともに2014(平成26)年に世界遺産に登録されました。
※ 田島弥平旧宅は現在も子孫が居住している住宅のため、見学可能範囲は庭及び桑場1階です。毎月第3日曜日は、主屋1階上段の間を公開しています。近くには「田島弥平旧宅案内所」があります。田島弥平旧宅の解説パネル、田島弥平旧宅所蔵資料の展示や映像情報、イタリア直輸出に関する資料などをご覧いただけますので、見学の際はぜひお立ち寄りください。団体向けのガイド(事前申し込み必須)も承ります。
開場時間 9時〜16時 ※旧宅・案内所ともに
休場日 年末年始(12月29日から1月3日まで) ※旧宅・案内所ともに
入場料 無料 ※旧宅・案内所ともに
住所 群馬県伊勢崎市境島村2243(旧宅)、境島村1968-4(案内所)
電話 0270-75-6672(文化財保護課): 0270-61-5924(田島弥平旧宅案内所)
桑麻館(田島武平旧宅)と境島村養蚕農家群
桑麻館は田島武平の旧宅。1863(文久3)年に建てられた田島弥平旧宅と同様の「島村養蚕農家」です。2015(平成27)年より2階産室を一般公開して、江戸時代から明治大正昭和時代の養蚕道具、養蚕や絹産業に関わる錦絵、島村勧業会社に関連した資料などを展示しています田島本家当主・十代目武平である田島信孝館長の貴重なお話を聞くことができます。
また付近には、幕末から明治にかけての「島村養蚕農家群」が点在しており、蚕種業や養蚕業で栄えていた時代を感じさせる集落景観が残されています。 大河ドラマの世界を感じながら散策をお楽しみください。
開場時間 10時〜12時、13時〜16時
休場日 月・木曜日(随時臨時休館有)
入場料 大人200円、学生100円、中学生以下無料
住所 群馬県伊勢崎市境島村2244
電話 0270-74-9348
旧渋沢邸「中の家」は、渋沢栄一が生まれた現深谷市血洗島にある建物。渋沢一族は養蚕や藍玉づくりとその販売、雑貨屋・質屋なども営んでいた裕福な農家で分家がいくつもあり、各渋沢家の位置関係より当家は「中の家」(なかんち)と呼ばれていました。現存する主屋は1895(明治28)年に栄一の妹夫妻が建てたものです。栄一は多忙な中、合間をみては帰郷し、十畳の奥座敷に滞在したと伝わっています。
梁間五間・桁行九間の切妻造りの主屋と、それを囲むように副屋・土蔵・正門・東門が建ち並び、当時の北武蔵地方における養蚕農家屋敷の形をよくとどめています。
1985(昭和60)年から「学校法人青淵塾渋沢国際学園」の学校として利用され、多くの外国人留学生が学んだのち、2000(平成12)年に同法人解散に伴い深谷市へと帰属しました。
埼玉県指定旧跡「渋沢栄一生地」・深谷市指定史跡に指定されています。
※中庭まで入ることができ、建物外観を見学可能です。団体(20名まで)でのご来場は必ず事前予約をお願いいたします。詳しくはリンクをご覧ください。
開場時間 9時〜17時(最終入場は16時30分)
休場日 年末年始(12月29日から1月3日まで)
入場料 無料
住所 埼玉県深谷市血洗島247-1 〈田島弥平旧宅から車で7分〉
電話 048-587-1100(渋沢栄一記念館)
深谷市ホームページ
諏訪神社
諏訪神社は血洗島の鎮守として祀られています。秋の例大祭で奉納される「血洗島獅子舞(深谷市無形民俗文化財)」は渋沢栄一が少年時代に舞ったと伝わっており、栄一は大成したのちも帰郷するとまずこの社に参詣し、秋の例大祭にはかならず獅子舞を鑑賞いたしました。
拝殿は1916(大正5)年に栄一が造営寄進しました。拝殿や鳥居の扁額も栄一の揮毫によるものです。
また境内には、諏訪神社の氏子により建てられた「渋沢青淵翁喜寿碑」もあります。
開場時間 拝観自由
休場日 無し
入場料 無し
住所 埼玉県深谷市血洗島117-6
電話 048-587-1100(渋沢栄一記念館)
渋沢栄一記念館は1995(平成7)年11月11日(栄一の祥月命日)に開館した渋沢栄一ゆかりの遺墨や写真などの資料展示や映像を見ることができる施設です。
2020(令和2)年には栄一の生前の姿を再現したアンドロイドが完成し、館内の講義室で栄一アンドロイドによる、手振り身振りを交えながらの「道徳経済合一説」をはじめとした数種類の講演を聞くことができます。
※見学は個人・団体とも事前予約制です。詳しくはリンクをご覧ください。
開場時間 9時〜17時(講義室は9時〜16時)
休場日 年末年始(12月29日から1月3日まで)
入場料 無料
住所 埼玉県深谷市下手計1204 〈田島弥平旧宅から車で8分〉
電話 048-587-1100
深谷市ホームページ
青淵公園
埼玉県深谷市にある青淵公園は、小高い丘の傾斜を利用して設置されたローラー滑り台やロープウェイ・ウォールクライミングなどの遊具がある広さ98,000平方メートルの公園です。広場にはテーブルやベンチもありピクニックにも最適です。事前申請が必要ですが許可があればバーベキューを行うことも可能です。
公園名の「青淵(せいえん)」は渋沢栄一の雅号から採られました。園内には1937(昭和12)年に皇太子明仁親王の生誕奉祝記念事業として、八基村青年団により建てられた「青淵由来之跡の碑」もあります。
開場時間 入場自由
休場日 特になし
入場料 無し
住所 埼玉県深谷市下手計1241
電話 048-571-1211 (都市計画課)
尾高惇忠生家は江戸時代後期に惇忠の曽祖父が建てたと伝わる商家建築で、当時の商家建物の趣を今に残す貴重な建造物であり、深谷市指定史跡になっています。
尾高家は、米穀・塩・菜種油の販売や藍玉の加工販売と農業を営んでおり、幼少期の渋沢栄一は論語をはじめとした四書五経を惇忠に習うためにここに通っていました。栄一の妻・千代の生家(惇忠の妹で栄一の従姉妹)でもあります。
惇忠や栄一らが高崎城乗っ取り計画を謀議したと伝わる部屋が現在も二階に残っています。
※解説員による解説付きの見学は事前予約制です。外観のみであれば見学は自由です。
開場時間 9時〜17時
休場日 年末年始(12月29日から1月3日まで)
入場料 無料
住所 埼玉県深谷市下手計236 〈田島弥平旧宅から車で8分〉
電話 048-587-1100(渋沢栄一記念館)
深谷市ホームページ
鹿島神社
鹿島神社は旧下手計村の鎮守で、境内には渋沢栄一らによって建てられた尾高惇忠の人となりや業績を伝える「藍香(藍香は惇忠の雅号)尾高翁頌徳碑」が建っています。碑は深谷市指定有形文化財に指定されています。拝殿の扁額は栄一の揮毫によるものです。
現在は朽木となった大欅の根元に湧いた神水で共同風呂が設けられて、栄一の母えいはこれを汲み、ハンセン病患者の背を流していたと伝わっています。栄一の社会福祉活動の原点は母の行動を見て育ったからだとも言われています。2003(平成15)年、国の重要文化財に指定されました。
開場時間 拝観自由
休場日 無し
入場料 無し
住所 埼玉県深谷市下手計1143
電話 048-587-1100(渋沢栄一記念館)
誠之堂・清風亭
誠之堂・清風亭は、ともに渋沢栄一ゆかりの建物で、1999(平成11)年に東京世田谷区から深谷市に移築されました。
誠之堂(せいしどう)は1916(大正5)年に渋沢栄一の喜寿を記念して建てられた煉瓦造・平屋建の洋館です。2003(平成15)年、国の重要文化財に指定されました。
清風亭(せいふうてい)は1926(大正15)年に、第一銀行の第二代頭取(初代は栄一)であった佐々木勇之助の古希(70歳)を記念して建てられました。2004(平成16)年、埼玉県指定有形文化財に指定されました。
※少人数で観覧は現地の受付にお声がけください。(新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、当面の間、解説を中止いたします)
10名以上の団体で観覧する場合、バスでお越しになる場合は、必ず事前に文化振興課へご連絡ください。
開場時間 9時〜17時
休場日 年末年始(12月29日から1月3日まで)
入場料 無料
住所 埼玉県深谷市起会110-1 大寄公民館敷地内
電話 048-577-4501 (文化振興課)
深谷大河ドラマ館は、NHK大河ドラマ「渋沢栄一 青天を衝け」放映を記念して期間限定で公開される施設です。
内部は、渋沢栄一が生まれ育った家として、大河ドラマの世界観を存分に味わえるように創作されたセットが再現され、ドラマで実際に使用された小道具や衣装の展示、メイキング映像の上映、ストーリーやキャスト紹介のパネル等の展示などがおこなわれています。深谷市の観光情報や特産品を販売するコーナーも設けられています。
ドラマの進行にあわせ展示内容を更新する予定ですので、一年を通じてお楽しみいただけます。
※開設期間 2021年2月16日(火)〜2022年1月10日(月・祝)
開場時間 9時〜17時(最終入場は16時30分)
休場日 解説期間中は無休
入場料 大人800円、小中高生400円、20人以上の団体は大人640円、小中高生320円
住所 埼玉県深谷市仲町20-2 〈田島弥平旧宅から車で16分〉
電話 048-551-8955
ふるさと館OAK
ふるさと館OAKは、深谷駅北口にある深谷商店街連合会が運営する物産館&シェアカフェです。施設内の半分が地元物産のお土産売り場と渋沢栄一の紹介コーナー、残り半分で「シェアカフェ」を営んでいます。シェアカフェでは煮ぼうとうやスイーツ、ランチプレートや定食などバラエティ豊かなお店が日替わりで出店しています。
OAK(オーク)の名称は渋沢家の家紋『丸に違い柏』にちなみ柏を含むブナ科ナラの木は英語で”OAK”であり、落葉樹でありながら次の葉ができるまで前年の葉が落ちないということから、代々続く非常に縁起の良いものとされてきたこと、さらに『ふるさと館に人が「多く」来てほしい』『深谷のまちにも「多く」のお客様が来てほしい』という願いも込められているそうです。
開場時間 10時〜17時(木曜日は15時まで)
休場日 木曜日、カフェは営業しています
入場料 無し
住所 埼玉県深谷市西島町2-18-20
電話 048-514-2509
渋沢栄一翁ふるさと館OAK
道の駅おかべ
道の駅おかべは、ブランドネギの代表「深谷ねぎ」をはじめとした深谷市の農産物を扱う「農産物直売センター」、岡部の特産である漬物などの特産加工品や地酒、地元ゆるキャラ「ふっかちゃん」グッズも揃った「ふるさと物産センター」、郷土料理「煮ぼうとう」や地元食材を使用したメニューが楽しめるレストランなどが揃う、人気の道の駅です。
年間を通して様々なイベントを開催しており、ふっかちゃんもよく遊びに来てくれるそうです。
開場時間 7時〜19時(施設により異なります)
休場日 年中無休 トイレは24時間ご利用いただけます
入場料 無し
住所 埼玉県深谷市岡688-1
電話 048-585-5001
道の駅おかべ
お問合せ先
群馬県地域創生部文化振興課 TEL:027-226-2326
Copyright 2021 渋沢栄一と世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」 All Rights Reserved.