絹の記憶を語る
養蚕、製糸、織物など絹産業に実際に携わった方の証言を聞き取ることで、県内に残る数多くの絹遺産の背景にある人々の生活や思いを記録することを目的に調査を行いました。複数人で行う座談会と、個別インタビューによる聞き取り調査を実施し、その一部を動画にまとめました。聞き手を務めた方々の感想とともに是非ご覧ください。
語り手:矢嶋 ヤエ
語り手:井上 由美子
富岡製糸場は、明治5年の操業開始から第二次世界大戦までは国力そのものであり、戦後は日本の呉服文化を支えてきました。昭和の終わりに製糸場としての役目を終えましたが、創業以来全国からたくさんの商人や工女、従業員を富岡市に呼び寄せました。その人々が富岡市民とともに暮らした結果、外から来た人に対し平等に心を開き共存する土地柄となったと思います。このことは少子高齢化の今、移住者を受け入れるのに大きなアドバンテージとなっています。富岡製糸場は、常に歴史の一部としてその存在意義を持っているということを、改めて認識する事ができました。
またその影には常に中学校を出るか出ないかの幼い女の子たちの姿があります。時にはきちんと教育を受けることができず労働を強いられたり、ある時代には親元を離れ、手を荒らしながらも仲間と支え合い励まし合い、大人の女性へと成長して自立していく様子を、ご本人たちから直接お話しいただけたのは大変貴重な経験でした。
富岡製糸場が単なる歴史遺産ではなく、今後も生きた価値を持ち続けられるよう、富岡市の絹文化を染織という分野で担う者として、今回お聞きしたお話を胸に邁進していきたいです。
語り手:髙梨 澄枝
語り手:吉田 あや子
今回、片倉工業富岡工場(富岡製糸場)で働いていた女性と会うことができ、座談会と個別インタビューで色々なお話を伺うことができました。特に、繰糸所で作業しながら、事務所の方に流してもらった自分のお気に入りのレコードを聴くことが1つの喜びだったという話が印象に残っています。今度繰糸所を見学する際には、当時流行していた天地真理さんや錦野旦さんなど昭和アイドル歌手の曲が流れていたことを想像してみてください!
工女としての作業は色々大変だったと私は思いますが、出会った方々はとても楽しそうに製糸場での生活の思い出を語っていました。
彼女たちと一緒に検査人館と女工館の中を歩きながら「ここは男子寮だった!あまり通る機会がなかったね」や「この食堂でクリスマス会を開いた!」などと、どんどん湧いてきた思い出を伺うことができ、とても新鮮で、貴重な時間を過ごせました。
語り手:佐々木 新平
今回、聞き取り調査を行って、富岡製糸場で働かれていた方々の様子を垣間見ることができ、製糸場を身近に感じることができました。県内は、原料繭の争奪が激しく、農家との関係を構築しないといけない状況のなかで、様々な気苦労などを知れたのも面白かったです。農家、仲買商などと色んなせめぎ合いや駆け引きなどもあったと思います。いろいろな立場の人から、話を聞ければ、もっと当時の状況や人々の心理がつぶさに理解できるのだろうと感じました。
製糸場単体だけでなく、製糸場周辺の界隈の変遷や、周辺の農村地域の姿を知ることができたのは、先祖の生きた時代を追憶するような貴重な体験になったので、このような体験を製糸場に訪れた人に対しても簡易的に提供できないだろうかと思いました。
製糸場を含めた場所や地域、そこで行われていたことが、今の日本や自分たちの暮らしにどのようにつながっていくのかなどを提示することが、教育的にも価値あるものになると思います。
語り手: 冨沢 智恵・久子
今回改めて聞けたことや新たに聞けたこともあり、大変充実した経験となりました。養蚕番付の存在自体は知っていたものの、冨沢さんの家にあるとは思っておらず、様々な年代の現物を見られたことは大変良かったです。
欲を言えば、冨沢さんの家の隣にある日本遺産「かかあ天下―ぐんまの絹物語―」を構成する文化財の一つ「富沢家住宅」についてもう少し掘り下げて話を伺いたかったです。
養蚕農家が減少している昨今、群馬でも養蚕を知らない人が多くなってきています。
今回、養蚕を知らない人にもわかりやすく伝えたいと思いインタビューを行いましたが、上手く伝わっているでしょうか。養蚕を知らない人が何を疑問に思い、何を知りたいと思うのかについて考え発信していきたいと思いました。
語り手:森 壽作
語り手:島崎 英三
重伝建や紗綾市など森さんを中心に先輩方が残してくれた桐生の素敵な町並みを今後も後世に残せるようにまちづくりを進めていきたいです。桐生に住んでいる人でも知らないことがたくさんあるので、桐生の人に向けてもPRしていければと思います。また、若い世代から様々な世代の方が遊びにきてくれるような魅力的な町をつくっていければと思います。
とにかく仕事に対して真摯な態度がある島崎さん。自分の月給よりも高い色見本を買って勉強をした話や新しい商品を開発した際の試行錯誤の話、タバコのピースの柄を模してパッケージデザインを考えた話など、とても勉強になりました。
デパートのウィンドウなど様々なところに、勉強するべきポイントはあるということを見習って、自分の仕事に対しても努力を続け、新しいものを作っていけるようにしたいです。
語り手:永井 幸子
永井いとが生まれ、火を使った養蚕法を研究して教え広めた片品村ですが、現在養蚕をしている家はありません。今回の調査をきっかけに、「永井いと」のやしゃごの妻である永井幸子さんと出会い、昭和の終わりまで行っていた永井家や周辺の家々での養蚕の様子を伺う貴重な機会を得ました。
一番印象に残ったのは、明治時代に永井いとが夫とともに考案した「いぶし飼い」(煙で蚕の感染症を予防する飼育法)が昭和までずっと行われていたということです。永井いとの功績は本などで読んだことはありましたが、実際に現代までその技術が受け継がれていたことに感動しました。
また、蚕のお世話をしながら畑仕事や家事、子育てをこなし、あらゆるものを手作りして暮らしていたという永井さんの姿に、現代の私たちにはない、自然とともに生きるたくましさを感じました。